あの時の自分と今の自分④~社会人になった私~

前向きストの知恵

勤めていた会社を辞め実家での療養の後、有名飲食店へアルバイトとして勤務し始めた私。

そこで感じる働きづらさなどを綴りたいと思います。

〜実家での療養 そして見つけた新たな職場〜

2011年10月。勤めていた会社を辞め実家へ戻り療養。と同時に実家での暮らしが始まりました。

しかし、母親と妹の目は冷たく、実家へ戻った際に「戻ってこなければ良かったのに」と心も体もボロボロだった私に言い放ちました。今でもこの言葉は深く突き刺さったまま傷は癒えていません。

約2ヶ月、仕事から離れ自宅で過ごしていました。でも同年12月、自宅近くにあるショッピングモール内にある有名飲食店のアルバイト募集を見て応募。

すぐに面接を受け、その際に「前の職場でうつ状態になり退職した」ことを面接してくれた社員マネージャーに伝えました。幸い、理解してくれて「しんどくなった時にはすぐに言ってください」と一言声をかけてくれ、採用となりました。

その後、どんな風に働くのか?自分でスケジュールを決めること等の説明を受けた後、実際にお店で働くことになったのです。

〜戸惑い、楽しさ… 色々と混ざり合う気持ち〜

いざ、お店で働くことになり最初は戸惑いも感じました。最初の頃、働く時間が主婦の方と被ることが多く、同い年の学生の子はほとんどいませんでした。(中には定時制高校通ってた子もいたけれど)

そこで作り方などを一通り教わりましたが、前の職場が飲食店だったこともあり、周囲から「飲み込みが早いね」と褒められることがありました。

それは他のポジションでも同じで、いつしか自分が[教わる立場]から[教える立場]へと変わっていきました。

もちろん、自分の教え方が正しいのか?果たして伝わっているのか?という不安はあったものの、新しく入った子に楽しく働いて欲しいという気持ちで丁寧に仕事のやり方などを教えていきました。

〜マネージャーという役職が運命を変えた〜

バイト先に働き始めて約2年経ったある日、社員さんから「マネージャーに上がってみない?」と打診されました。

今までの働きぶりが評価されマネージャーにふさわしいと感じて声をかけたのです。それは同時に責任を伴うということでもありました。しばらく悩んだ結果「マネージャーになります」ということを伝え勉強を始めることになりました。

お店の運営方法や労働時間、お金の管理や電話応対のやり方などを事細かに勉強し約1年後、上司のチェックで合格しマネージャーへタイトルアップしました。

〜慣れない業務。そこでも無理しすぎて〜

最初の頃は慣れない業務についていけないこともありました。だけど段々と仕事が身についていき、それが自信へと繋がっていきました。

しかし、慣れるまでに時間が掛かってしまい、いつしか無理してまで仕事をすることが増えていきました。

ある日を境に職場で涙が止まらなくなることが増え、拒絶反応が起こるようになりました。

そして、店長と先輩マネージャーを交えた話し合いで泣きながら「2週間休ませてください」と伝え休養することになりました。

休養している間は、ほとんど家から出ることが出来ず、罪悪感でいっぱいでした。休養期間が終わる日が近づくにつれ「果たして大丈夫なのか?」という不安が常にありました。

2週間経ち、無事に復帰することは出来ましたが事前に休養すると周りに伝えていなかったので、当時在籍していた後輩マネージャーに復帰早々「スケジュール調整するの大変だったんですからね!」とキレ気味で言われました。

確かに突然、休養することに対して申し訳ないと思っていました。だけど、復帰して初日に心無い言葉を言われて傷ついてしまいました。

〜増えていく業務量。変化する体調〜

マネージャーで働く年数が経つにつれて任されていく業務も増えていきました。

閉店作業(レジ締め、納金作業など)や在庫確認の仕事、他にも後輩をトレーニングしていったりと多岐にわたる業務をこなしていきました。

店長からは「在庫量が合わないのは何故なんだ?」「原材料を破棄した量が多いのは何故か?」などと叱責に近いような感じで言われることが多く、精神的にも肉体的にも疲弊していきました。

大きく体調が変わったのは昨年。
精神科を受診し主治医から業務量を軽減するよう書かれた診断書を渡されました。

その診断書を店長に渡したところ「あぁ。業務量軽減ね」と一言言って診断書を私に返しました。もちろん、業務量が減らされることはなく、閉店作業の日数などを減らすことはありませんでした。

業務量の調整されることはなく、任されていく業務は増えていくばかり。心も体も悲鳴をあげつつありました。

その後「適応障害」と診断を受け、通院し薬を飲みながら仕事をしていましたが遂に限界になり、7月から1ヶ月休職することになりました。休職に入る前店長に言われた言葉が未だに忘れられないし、深く傷つきました。

その言葉が「7月から休むんだよね?外国行くの?」という言葉でした。本音は『そんな体力とお金があるなら、とっくに行っとるわ』とキレ気味で言おうかと思いましたが「パスポート持っていないので」と伝えました。

休職期間中は普段出来ないことをやろうと思い、ネイルや髪色を明るく染めたりなど少しでも気持ちが晴れるよう努めました。更には音楽番組の観覧に行ったりしました。

そして1ヶ月の休職が明け、最初は短い時間で慣らしていきました。
月日が経つにつれ、段々と働く時間を元に戻し、現在は休職前と変わらない時間で働くまでになりました。

ですが、今も週1の通院は欠かせず病気が完治したわけではありませんが、上手く病気と付き合いながら仕事をしていこうと思っています。

〜最後に私からのメッセージ〜

ここまで長い記事を読んでくださり、本当にありがとうございました!

今「働き方改革」と言われていますが、働き方は人それぞれ違うと思います。
私のようにアルバイトとして働く人もいれば、正社員で働く人在宅ワークなどなど。そんな中で自分に合った働き方って何だろう?と考えていますが、答えは見つかっていません。

だけど、一番は「自分の心と体は大切にして欲しい」ということを伝えたいです。

職場や学校で生きづらさや、しんどさを感じている方いると思います。休みたい、けど休めない。って方も多いはず。そんな時には思い切って休むことも大事です。

一つの逃げ道を作って「あぁ。休んでもいいんだ」と思えるようになれたらいいなと思います。そしてそんな世の中になって欲しいなと願っています。

記事を読んでくださり、本当にありがとうございました!

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