成人とはそんなに偉いことなのだろうか

ヒカリコラム

“ 初めてです、自分の成人式にバイト入れた人 ”

その言葉は、バイト先のチーフから何気なく発せられた。
本人は何気なく発したのだろう。

いや、にしてもモラルないけど。(この方、そもそも少しズレてるけどね。)

『俺は成人式にいくものか』

ひねくれ発言に聞こえるならそう捉えて構わない。
義務教育のうち、3年間を奪った思考停止人間と絡んでいる余裕はない。
逆にその3年間がなければ、私も思考停止人間になっていただろう。

自分で自分を評価することはハッキリ嫌いだ。

そんな私でも持っているものはある。

『お前らよりは人生について考えて生きているぞ。』

一度、社会の団体列車から突き落とされた以上、
どうせ生きるしかないならクソでも構わん。

収穫の多い人生にしたほうが有利だと強く感じる。

人間とは不思議なもので数字にすべてを操られている。
時間、経済、成績…上げきれないほどに。

果たして、成人することはそんなに偉いのだろうか。

生きている限りは必ず迎えるだろうというのに。

私は成人式に参加することを否定はしない。
あくまでも私自身は参加するまいというだけだ。

そんな私に、両親はわかりきった様子で
『あらそう、まあそうね』とスルー。

親心としては、本当は成人式に参加する姿を見たかったのだろう。

だが、奪われた3年間を誰よりも知る一人息子の親だからこそ
成人式だけは触れないことにしてくれたのだろう。

私は親不孝なのだろうか?
常識に反している不適合者なのだろうか?

就活はまだ内定を取れず。

残念なことに、殆どの場合は労働をしなければ生きていくことができない。

必要もない祝いを受けた後は金銭ばかり気にしなければいけなくなるのか。

私は社会のお荷物だ。

時期尚早に社会から手を引いて迷惑をかけないように
ひっそりと自分のペースで生きたいと強く感じる。

だから、『人生について考えて生きているぞ。』

私もこんなつもりで成人するなんて考えてなかった。

申し訳ない。

それ以上も、
それ以下も、
それ以外も。

言葉が見つからない。

民主主義とは、聞こえのいいだけのただの同調圧力。
資本主義とは、聞こえのいいだけのただの搾取構造。

俺はいつまで経ってもどんなに這っても君たちのお荷物だ。

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