【ヒカリテラスへの思い溢れる!】旗持ち係のわたしの宣言。

ヒカリコラム

※この記事は2019年に前サイトで公開した記事になります。

こんにちは、ヒカリテラス編集部のちはるです。

私は、去年の1月1日にこの言葉の発信地ヒカリテラスをスタートさせました。

今年は私の心の中にヒカリテラスが生まれて1年が経過したので、
初心に立ち返ろうと思い、1番はじめに公開しようとしたこの記事を掲載しようと思います。

1年前の私がどのように考えていたのか、今の私がどう考えているのか、少しずつ変わっていっているかもしれません。しかし、最初に抱いた熱い思いは今も冷めることなく抱き続けています。

ローンチ時、それ以前から応援していただいている皆さんも、知って間もない皆さんも、
この機会に「ヒカリテラス」を感じていただけると嬉しいです。

その始まり方は、本当に運命のような、必然のような、不思議な始まりでした。

今回は、どうして始めたのか、ここで何をしたいのか、何を変えたいのか、そんな私の思いを綴らせてください。

いつも、言葉が隣にいました。

始めた経緯は、私の過去にまで遡ります。

私は昔から、本や辞書を読んだり、文章を書いたりすることが大好きな子どもでした。

でも学校では、いじめられたり、友達と上手く馴染めなかったりすることが多く、学校は大嫌いでした。そんな日々が続いて、学校に行くことが辛くなった時に、学校に行くことをやめました。

それからも、「不登校は行けないことだ。」「不登校は法律違反。」「そんなのは甘えだ。」と言われる日々が続き、大好きな言葉の存在すらも忘れてしまうほど、毎日が苦しくてたまりませんでした。

中学校に進学しても、学校への不信感が拭えず、先生も周りの人も誰も信じられない、と学校に行かない日々が続き、学校に行けない自分や、人を信用できない自分を責めるようになりました。

そんなある日、私は英語の参考書から、Oprah Winfreyという海外の人の言葉を見つけました。

『あなたの傷を知恵に変えなさい。』

私はこの言葉に救われました。

いじめられて、信じていた友達にも裏切られて、不登校になっても周りから悪く言われる……。
そんな日々も、知恵や希望に変えれば報われる日が来ると信じるようになりました。

それから、何度も家にある本を読み、言葉を綴り、辞書を読み、そんな時間を繰り返しました。

そのうち、日本だけではない海外の言葉もわかるようになりたいと、地元の国際科のある高校を目指して、勉強を始め、合格し、その高校に入学しました。

目指していた高校だったからこそ、高校生になったら学校に通えるようになると信じて疑いませんでした。

拭いきれなかった学校への不信感と変わらない自分

でも、学校への不信感は拭えず、人を信用できない自分も変わらず、学校に行くことが辛くなりました。

そんなときに、ストレスが原因で声が出なくなり、話すことができなくなりました。
それは、英語のスピーチ大会に向けて練習を始めたころの話です。

目指していたはずの学校に行くことも苦しい、誰の信用できない自分が嫌い、声が出ないなんて……。

私は、この時から、『死』について考えるようになりました。

ハサミや包丁を見るたびに、これで死ねると思ったり、学校の4階にある教室からの景色を見れば、ここから飛び降りたらなんて思ったり、毎朝乗る電車ですらも、この電車に轢かれちゃえば良かったのに。という思考に変わっていくことに怖さを覚え、家から出れなくなりました。

そんなときに、見つけたのが、ボロボロになったノートや、何度も読んだ形跡のある本、辞書でした。

そこから、「私は、言葉が好きだったんだ。」「言葉と一緒に過ごしてきたんだ」と思いました。

「きっと、好きな事をすることで、大嫌いな私を変えることができる。」

そう思って、NPO法人の高校生編集部の募集に応募し、初めて1人で東京へ行きました。

こうして、新しいワタシが始まりました。

それから、前に通っていた高校を辞め、新しい高校へ転校しました。
転校と共に、高校生編集部の活動に力を入れ始めました。

すると今まで、人と話すことも関わることもまともにできない、家から一歩も出ない生活を送ってきた私から、少しずつ変わっていきました。

また、外の世界に出ることによって、たくさんの素敵な人と出会い、やりたいことが見つかりました。

素敵な人との出会いや、やりたいことが見つかったこともあり、
私は居場所づくりというものに興味を示すようになり、プロジェクトを始めました。

不登校生をはじめとする社会に生きづらさを感じる人が集まり、生きやすい社会のために活動するまぶぃーずをはじめとした色んなプロジェクトをはじめたり、一緒に活動させていただきました。

私にとって、まぶぃーずをはじめとするプロジェクトはかけがえのない存在となりました。

たくさんの人と出会い、関わることが出来ました。
そして、プロジェクトメンバーとは、たくさん話をしたり、夢を語ったり、時には悲しいこと、苦しいことを分け合い、時に、気持ちをぶつけ合い、けんかもしました。

私にとって、そんな何気ない一瞬が、とても大事な思い出、経験でした。

また、高校生という肩書を忘れ、すべての時間をプロジェクトに費やし、寝る間も惜しんで資料をつくったり、深夜まで話し合いをしたり、休みもないまま、2週間連続で話を聞きに行ったり、相談しに行った日もありました。

私は、そうやって目まぐるしく変わっていく環境や自分自身についていけない日もありましたが、私が本当にやりたかったこと、目指していることが見えてくるようになりました。

視界がひらき、見えたもの

「私の傷を誰かの力に変えること。」「言葉の力で誰かの心に寄り添うこと。」

まぶぃーずで活動していく中で、社会に生きづらさを抱えていながらも、頑張って生きる人とたくさん関わって来ました。

そんな中で私に何ができるんだろうと考えていました。

そして、2017年の大みそかに、ふと頭の中でアイデアが降りてくる感覚がありました。

「あ、私、社会に生きづらさを抱える人の心に寄り添える言葉を発信したい。」

こうして、2018年の1月1日から、どんなことをしたいのか考え始めて「言葉の発信地ヒカリテラス」が誕生しました。

言葉の力で、「生きづらい」を変える。

私は高校2年の夏ごろから、女の子向けのメディアでライターとして働いていました。
そこの私が密かに憧れている編集長さんがおっしゃっていた言葉がずっと心に残っています。

「自分のことは自分でしか変えられない。
でも、言葉の力は、背中を押してもらったり、背中を支えてもらうことができる。
言葉の力は、心を明るくさせたり、前向きにさせることができる。
それは、小さな変化かもしれないけど、確実に言葉の力は人の心を動かせる。」

私は、編集長さんがこうおっしゃった時に、言葉の力の可能性を再確認しました。

私は昔から、言葉の力に支えられてここまで生きてきました。
いつも言葉と一緒で、言葉が友達でした。言葉の力に、私は支えられ、背中を押され続けてきました。

言葉の力は、悪口を言われた時みたいに、時に人の心を簡単に傷つけるナイフにもなるけど、で
も、大事に使えれば、きっと言葉の力には人の心を動かす力があると思っています。

だから人一倍、言葉の力を信じているし、言葉の力で何かを変えたいとずっとずっと思っています。

だから、私は「ヒカリテラス」を始めました。

私はこの「ヒカリテラス」を、社会の生きづらさを変える力のある言葉の発信地にしたいと思っています。

社会に生きづらさを抱える人の心に寄り添い、支え、背中を押すことのできる言葉を発信し続けたい。

社会で頑張って生きる人や社会の生きづらさと戦っている人を、もっと多くの人に伝えたい。

社会の悲しいけれど冷たいところを、壊せるような、真っ直ぐで芯のある言葉を投げかけられる言葉を投げ込みたい。

言葉の力で、社会を変えたい。

もっともっと、多くの人が生きやすい社会へ。
他人事ではなく、自分事のように考えられる社会へ。

誰が生きづらい立場になるなんてわからないと思っています。

真面目に学校へ行っていた子が不登校になることだって、
毎日働けていた人が仕事が家から出れなくなることだって、
明るく振舞っていた子が実は家庭環境に問題があることだって、
毎日楽しそうにしていた人が精神疾患にかかることだって、
普通に生活している人が、マイノリティに苦しんでいることだって、

どんな人だって、生きづらさを抱えている、
これから生きづらさを抱える可能性は低くないのです。

だから、生きづらさを他人事のように見ないふりをするのではなく、
自分事のように考えること、知ってもらうことが大事だと思うのです。

そのために私はこの「ヒカリテラス」を、社会の生きづらさを変える力のある言葉の発信地となるために動いていきます!

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