そのうち『オトナ』になる人へ

ヒカリコラム

こんにちは、2度目の登場のわたです。

ようやく秋めいてきた昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか。

前回、「2回目」の心壊す経験を書いたんで、本日は1回目を。

時系列的には自分の高校時代からスタートします。実家を飛び出しはや何年、自分の体験と、今後「親」になるはずの皆に向けてお話を一つ。

まぁ、こっちの方がホント根深いんですけど。実は今も解決していない案件なんで。

心を壊したvol.1

単刀直入に言うと原因は父親です。

DVって言葉は後から知ったんですがその言葉ぴったり当てはまる「もの」でした、アレ。

もはや肉親を人間カウントしないあたり、驚きの根深さがここに。

肉体的じゃなく精神的にきつかったです。ただひたすら訳も分からず暴言を浴びせられ続ける日常。ちょいちょいその気はあったんですがアレ。ただ、自分が高校生になった頃から更にエスカレートした記憶が。

毎日酒飲んじゃ暴れて。あの個体にとっちゃストレス解消になったかもしれんけど。

こっちはもう大変。日付変わって酒が回ってアレが寝付くまで(だいたい2~3時)もはや騒音レベルの愚痴や悪口や暴言や。

そして遂には母親には遂に暴力まで振るうように。

最初は必死に耐えてましたが、耐え切れず1回ワンパン入れて公的機関出動の大騒ぎも^^;

「君はああなっちゃいけない。そのためにも我慢するんだよ」

と、公的機関の方にたしなめられて。

以来、ぐっと我慢の日々。

しかし、それ以降も相変わらず夜に直接的に手を出すことはなくなりましたが、相変わらず罵詈雑言が止む気配がなく。

僕は深夜ラジオの音で何とかシャットアウトしていました。ありがとう文化放送。

でもさー、テスト直前にまでやるのやめてくんない?

よりによってセンター試験の前日にまでやられました。結果は推して知るべし。

眠気MAXでまさかのマークシート1個ずらしが炸裂し、それに気づいた瞬間しゅーりょーw

とりあえず1個私立大学にはひっかかったんですが、それを受けてアレの発言にはホントに耳を疑いました。

「うちに私立に行かせる金はない」

はぁ?とその場にいた全員耳を疑いましたが、この発言が覆るはずもなく晴れて浪人生に。

しかも、予備校にすら行かせてもらえなかったので、家で勉強するしかなかったのですが、そこから攻撃の矛先が僕に向かってきました。

「せっかく高校まで入れてやったのに」

「無駄に高い飯だけ食べやがって」

「1年も無駄にして何様のつもりだ」

…で、2カ月で僕、ブチ切れてツーパン目^^; 再び公的機関(同じ方でした奇跡的にw)出動

その後、その方の勧めもあって激安(確か家賃3万w)のアパートで一人暮らしを始め、大学も「地元から離れた方がいい」ってアドバイスをその方からもらい(あれ、予備校の先生よりも優秀?w)無事某地方国立大学に入学できましたとさ、めでたしめでたし。

大人のエゴ

あ、♪ちゃんちゃん、で終わりませんよw

母親から後から聞いた話ですが、最初は仕事でうまく行ってなかったうさ晴らしがエスカレートしてああなった、と。

ただ、後半はどーにもアレのストレスの原因は僕だったみたく。

「家の子は無遅刻無欠席で通ってくれて」

「この前の参観授業、しっかりとやってて嬉しかったよ」

対する僕は遅刻はデフォルト、欠席日数もあと一息で3ケタという有様^^;

そんなグダグダ学生生活にたいそう憤慨してたらしいんですが。

…原因は貴様だろうが。だったら安眠させてくれマジで。

しかも公的機関に悪者扱いされたのがよほど気に食わなかったらしく、僕を見りゃボケカス死ねの暴言を。(カウンターが怖くて手は出さなかったそーでw)

とどめの一言は「お前のせいで職場で肩身が狭い」、と。

…怒りを通り越してあきれました。そりゃワンパンよくないのわかってるけどさ。(狙って鼻に打ち込む辺り特に)

なんで大人は「体裁」ってやつを気にするんでしょうか。

自分とこの子供に暴力を受けた、って原因作ったの間違いなくアンタでしょうが。

強きにへつらい、弱きを罰する、をここまで堂々とやられるとこっちとしてもある意味、すがすがしかったです。

「自分はかくありたい」

その思いは別に否定はしませんが、他人を傷つけてまで手に入れる価値、ってあるんですかね?

今になって思えば、人を踏み台にして得た名誉なんて全然尊くない、ってのを分かっていない人がいじめとか起こしている傾向がある気がします。

結局いじめの根っこって「人の気持ちが分からない」ってところに集約するような気がします。

いじめられる側に何かあったとしてもそれを許してあげれば何も起こらないはず。悪意を持ってその原因を突っつく判断をしたのはいじめる側。「いじめられる方にも原因がある」とか台詞吐く人は何を根拠に言うのやら。

帰らぬ実家

で、県外の大学に無事合格、関東で就職とどんどんと実家から離れていき。

全く帰らなくなりました。

毎年母親からは年末どうするんだい?正月くらい帰っておいでよ、との連絡は来るんですが。

何かと理由つけて毎回断ってます。

「カウントダウンライブ誘われて」←まぁ事実毎年行ってますw お誘いもあるし

「ちょっと箱根駅伝生で見る約束あって」←もちろん大嘘 一人で沿道観戦はしてますが

「ガキ使録画忘れた」←もはや言い訳ですらないw

当時は「もう二度と会いたくない」って気持ちでした。まぁ恨みつらみ言っても仕方がないってのは当時から分かってはいたんですけど。結局時間が経っても何も変わらず。

連絡先は勝手に携帯電話を番号までも変えたので母親が昔のメールアドレスを、妹が僕のTwitterアカウントを知ってるのみ。完全に実家的には「もういない人」のポジションです。

家族でどこか行った、って記憶も皆無だし。むしろ嫌な記憶が掃いて捨てるほど。

自分でもかなり歪んだ家族、って自覚あるけど、こうなっちゃったらもうどうしようもないなぁ、って諦めの気持ちでした。

そんな中少しだけ心を変える言葉がこの夏に母親から一通のメールが

「父親が僕に話をしたがっているみたい」

最初聞いたときは「はぁ?」って鬼塩対応。 同時にFacebookにヤツから友達申請が。まぁ秒でブロックしましたがw ただ、これで少しだけ心が動きました。

『何もならないことがダメ、まずは何かやってみよう』

僕の行動理念でもあり、ある人からも言われたこの言葉。

とりあえずやってみるか、と意を決し実家山口に帰ることにしました、このお盆。

路上ライブのついでにな!←をいw

誰の路上ライブかといいますと、僕のこと知ってる人なら『ああ、あそこね』で以上終了なんですが。

説明するとシンガーソングライターやりながら各地で不登校の講演やってる風見穏香さんです。

8/14に広島でやる、って聞いていたのでそこに行ってから帰ろう、って計画。

そしたら当日見事に台風クリーンヒットし路上ライブ終了したあと広島に閉じ込められました^^;

電車どころかバスも何もかも1日完全ストップ。で、結局帰れず関東にUターン。ああ、遥か遠方なり我が実家。

だけど風見さん、僕の事情分かってくれてるので「きっと今はそのときじゃない、でもいつかその時は来るよ」と言ってくれ。

この言葉でだいぶ心が救われました。

なんか黒いもので固まっていたかのような心がスッと氷解した、って言えば伝わるでしょうか。

結局負の感情って何も生み出さないんだなぁ、って。

「許す」ってこと色々な場面で必要なんだな、ってのが今のマインドです。

この考え方いろんな場面に応用できるかもしれません。人間関係において特に。

何かあってもカッとなって怒る前に笑って「ドンマイ」って言える。それだけでだいぶ変わると思います。

だから「いつか来るその時」ってのを待っています、今は。

…まぁ今年の年末もライブのお誘いがただいま2件あるので今年の末はその時じゃないけど^^;

未来はつくるもの

与えられたものだけで何とかしよう、ってのは無理ってこの経験から学びました。僕は思い切って外の世界に飛び出し、SNSで色んな人たちと出会い、そこから現状を変える術を見つけて何とか復活できました。

待ってても何も変わらないから。だったらおいでよここに。

皆痛みを知ってるからこそ、届く言葉が必ずあるから。

そしてもう一つ伝えたいこと。

親の不仲って子供に与えるダメージは相当なもの。結局なんだかんだ言って家族と過ごす時間、ってのが一番多いし一番影響を与えるもの。辛い時期を過ごして何とか立ち直れた大人からの切なる願いとしては、あんな経験は僕一人で十分。

他のライターの方も色々な角度から記事を書いているけど、結局大人の責任ってほんと大きいはず。悲しみを連鎖を断ち切るためにも。

だからそのうち『オトナ』になる人へ。

自分の子供くらいは愛してあげて。いつも笑っていられるようにさ。

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