今、昔の私が救われた出来事と同じような事をすることに、
気持ち悪さを薄々感じながら、キーボードの上で指を踊らせている。
かなり、偽善に近いから。
昔の私が今の私を見たら吐きそうになるくらいに。
今、こうして読んでくれているあなたと、死にかけた昔の私を重ねている。
最初に謝っておきたい。ごめんなさい。
これは、今の私が存在しているという証明。
この先も、信念を突き通し生きていくという覚悟。
そして、昔の私へのメッセージ。
私のため。自己満足。ほぼ偽善。
許してほしい。でも読んでほしい。
私のヒカリとなってくれた言葉が、
あなたのヒカリになってくれる淡い期待も込めながら。
言葉に救われたワタシ。

高校1年生の夏、自分を殺そうとした。
本当は信じたいのに信じることの出来ない私も、感情がわからなくなっている私も、自身を繕ってしまう私も、大嫌いだった。
すると気づけば、声が出なくなってしまった。そして、「死」が脳裏から離れなくなってしまった。
死んでしまった方が楽になれるのかもしれない。
私の価値なんてたかが知れてる。
私なんか生きてたって仕方がない。
と思っていたのに、死ねなかった。
自尊心こそない癖に、自己愛は立派すぎたのだ。
死ねない私をずっと責めて、苦しめた。
部屋から一歩も出ることなく、一週間、一か月と苦しめようとした。
でも何故か、苦しむことから考えることをはじめた。
八つ当たりした本を拾い、破りかけたノートを拾い、バリケードのために積んでいた辞書を読んだ。
ご飯を食べることもなく、誰とも話すこともなく、言葉を見つめては一日が過ぎ、寝る生活を過ごした。
本の中の言葉を見つめるのが好きで、美しい言葉の意味を調べ考えるのが好きで、言葉を紡ぐのが好きだった。
言葉はずっと私のそばにいてくれた。言葉はいつでも私の味方だった。
その時にノートから、ある言葉を見つけた。
「あなたの傷を知恵に変えなさい。」
アメリカの慈善家、有名な司会者でもあるOplah Winfreyの言葉である。
ずっとこの言葉に支えられてきたことも忘れていたのだ。
私、変わりたい。
言葉の力は、私が生きていくためのヒカリだった。
死に損なって救われてしまったあの時から今にかけて、私の思いと考えで、動いてきた。
すると、多くの苦しむ人のために、私なりのアクションで力になろうと思えた。
だから今、私はこうして言葉を紡いでいる。
生きているよってもがいている。
今、私を信じてくれているすべての人のために、そして昔の私のために。
未だに、死ねなくてよかった、と言えないけど、
いつか絶対、死ねなくてよかった、生きててよかった、と言わせてやりたい。
「死に損ない」のワタシが伝えたいこと

でも、今読んでいるあなたは、
「死にたい」「消えたい」「生きてる価値なんてない」「生きてても無駄」
と思っていたり、
「いつ死のう」「どうやって死のう」「遺書どうしよう」「バレずに死にたい」
と考えているかもしれない。
私は、そう思っているあなたでいいと思う。
それぐらい人生嫌になったからそう思うし、それぐらい生きるのも辛いし、それぐらい自分が嫌いで仕方ないんだと思う。
「死んだら悲しむ人いるよ?」「死んだらだめだよ。」「生きたらいいことあるよ?」
なんていう人ばかりで、確かに正論でもあるのだけど。
ぶっちゃけ、死ぬって決めたら、
そんな周りなんか見えない、倫理的な事もどうでもいい、未来を考えるのだって飽き飽き。
そもそも、死ぬって言わなかったら、絶対、何も言わなかったし、何も聞かなかったくせにって私はずっと思ってた。
私は死ねなかった人間で、途中で逃げ出した人間だけど。
でもだからこそ、簡単に「生きてほしい」だなんて言えない。
「死んだら悲しむ」だとか、「未来は明るいよ」だとか、絶対に言えないし、言いたくない。
だって、そんな言葉でどうにかなるほど、私たちの心は単純じゃないから。
でも、ほんの1%でも1ミリでも「生きたい」って思ってるなら、死ねなかったって思ってでも逃げてほしい。
「消えたい、けれど死にたくない」って思ってるなら、消えられないと後悔してでも、生きよう。
自分の部屋にバリケード作ったっていい。公園、図書館、トイレに駆け込んだって、引きこもたっていい。中に私服着こんで、制服脱ぎ捨てて、ネカフェ入ってもゲーセン入ってもいい。無断欠席だってなんだっていいじゃない。
「生きたい」ってほんの少しでも思うなら、馬鹿でもいいから、あがいて、逃げて、生きよう。
その後悔は、生きて、生きて、力にでも、光にでも、知恵にでも、なんでも変えちゃえばいい。
私は生きるよ。
死ねなくてよかった、と思えるために。
生きててよかった、と感じられるために。
言葉の力に救われた命だから、言葉の力で光を照らしたいって思った。
私は、私なりの信念を守り続けて、私のやり方で、誰かの力になるって決めたから。
自分自身と向き合ってみて。
少しでも、ほんのちょっとでも、1%でも、「生きたい」と思っているのなら、「死にたくない」と思っているのなら、後悔してでも、何と言われようとも、ずるくても、逃げて、生きて。
私に社会に、思いを、教えて。
貴方が今、感じている事も、全部。
頑張っても、立ち向かっても、逃げても、前に進めなくても、
貴方のどんな挑戦も、応援してる。
こんな記事の中から。
あとがき
今、この記事を振り返っている私は20歳になった。
この記事と書いた当時とは、ヒカリテラスの環境もそれ以外の環境も違う。
でも、ここに書いた思いと現状は変わっていない。
「生きててよかった」はまだ感じられてない。
刻一刻と迫る大学卒業と、進路選択に怯えている。
未来を選択することが怖いのは、生き続けることが怖いから。
それでも、はじめて「生き抜いて続けなきゃ」と思えるモノに出逢った。
私が生きていてもいいんだ、生きる価値があったんだと思える出来事があった。
死に損なって絶望したけど、ズルズルと生きてみて、
少しずつ私は、変わってきているのかもしれない。
だから、今も思う。
一緒に生きてみよう。

言葉の発信地ヒカリテラス代表/政治学・憲法学を専攻する大学3年生。
関心事は生きづらさ全般・自死予防・HSP・ジェンダー・不登校。ハロプロが大好き。