人生につらいことがあったとしても、きっとあなた自身の糧になる

前向きストの知恵

初めまして、高校一年生のハナタクです。

僕は中学一年生の9月の時から卒業するまで不登校を経験しました。

皆さんは、「不登校」について、どのようなイメージがありますか?

今回は、この場を借りて僕が不登校になった原因と現在にかけてをお伝えできればと思います。

楽しい学校生活が待ってると思ったのに

行けてなかった中学校は2つの小学校の生徒が集まっている。

中1の4月になって僕は学級委員になった。何故学級委員になったかというと、誰もやる人がいなくてこれ以上待たせると先に進めなくなるからだ。

学級委員はクラス男女1人ずつだ。その女の子は同じ小学校でも、一度も一緒のクラスになったことがなくどんな子かよく分からなかった。

そして一緒に活動していくうちにその子の素性が露わになった。

いつもその子は僕に向かって命令口調であれやれ!これやれ!早くしろ!と言って、自分ができないことは全て僕にやらせておいしいところだけいつもとっていく感じ。

普通は一緒に協力していこう。というスタンスになるはずだが、その子のお兄さんが現生徒会長ということもあり結構鼻が高くなっているのではないかと思う。

例えば、クラスで今日の目標を決めるのだがその目標を前日から僕は考えてというか無理矢理考えさせられて朝になったらその子のところに今日の目標の紙を出す。
そうすると必ず言ってくるのは、「ふーんそれだけ?」「これは却下!もう!あたしが言うから!ハナタクは今日の目標の反省を言って!」

結局その子が言った言葉は僕が出したものを読んで言っていた。

今日の目標の反省のときになった。
朝は紙を出したら却下されたから言わないでおこうと思ったら昼休みに、「もう考えた?」と言われたから「まだだよ」と言ったら「遅いわね!」と言われた。これがほぼ毎日のように続くのである。

これにしびれを切らした僕は担任に相談した。

その一言が信じられなかった。

「ふーん自分で考えれば!」

こう言ってきた。しかも思いっきり事務的で。

さすがにこれは頭にきて家に帰ってお母さんに言ったら、「まあ頑張って👍」と言われたから、まあ頑張ってみるか!と思って翌日は学校に行った。


今考えてみればそのときから相当心に傷をおっていてよく我慢できたなと自分で自分を褒めてあげたい。

その後我慢し続けて、夏休みになる1週間前に僕は初めて1週間丸々休んだ。

夏休みは部活をやりたい!と思って教頭先生に言ったら「よし、俺がハナタクくんが行けるように会議を開いて説得するから時間をくれ!」と言われた。それが7月の一番初めのこと。

そして結局部活はOKになった。僕は嬉しくて夏休み最初の部活に行ったら生徒たちは大丈夫だったが、顧問がこう言ってきた。

「あれ、学校行けてないのだよね。なのになんで部活に来た!」と言われて予想外だったのでびっくりしてこう言った。「教頭先生から部活に行っていいという許可を得たので来ました。」と言ったら「ふーんわかった。いいよ。」と言った。

「そのいいよ。」も感情がこめられていなくて事務的で、なぜこんなにも生徒に対して冷たいんだろうと感じた。

そして夏休み明けた最初の日僕はお母さんと一緒に夏休みの宿題を全部やったので職員室に出しにいったら担任がいてよく来たね〜と言ってくれると思っていたが、衝撃の答えだった。

担任:「おい!早くそこに突っ立ってないで早く用件を言え!」

僕:「はい!(パニック状態をなんとか押し殺しながら)宿題を出しに来ました。」

担任:「で?」

僕はしどろもどろにいてその場に立っていた。

担任:「おい!その場に突っ立っていていいのか!そこはまず担任のところまで行って宿題を出しに来ました。と言って担任の判断を仰ぐことだろう!」

僕:「はい!」

担任:「じゃあ、早くこっちこい!」

僕:「はい。」

と言ってこっちに来たらこう言われた。

「私が全部預かれるものは預かるけどそれ以外のものは今!ここで!担当の先生のところに出しに行って!」

僕は「はい!」と言った。

そして紆余曲折あって2時間後職員室から担任が出て来て初めてお母さんに会って担任は「あ、全て聞かれていたのだな」という表情をしてかしこまった対応に戻ったので僕はさんざん言っておいてごめんのひとつもないのかよ!と思った。

色々悩んで葛藤した

そしてここから学校を休むことにした。

その間を利用して相談に行くことになった。

9月に最初は学校のスクールカウンセラーに相談に言ったが、大した答えは得られなかった。

その後、民間の相談室に行った。相談に乗ってくれた人が学校の校長を経験していた人で学校の裏話を話してくれたり、親身になって色んな提案をしてくれた。
なので「こういうカラクリがあるなら仕方ない」と思えて安心できたのでそこはとっても良かった。

そこの人から支援教室に行ってみればということになり、見学に行った。
見学に行った時は通級生が誰もいなくてどんな子だろうとドキドキしていた。

そして体験通級が始まった。それが、2015年9月だった。

今では通信高校に通っていて、卓球や、フラワーアレンジメントをやっていて充実した生活を送っている。

僕はこの経験をして、よりもっと教育について、将来について深く考えられるようになったりして自分の視野が広がったと思っている。

将来は、不登校であっても、そうでなくても、最終的には教育を受ける子どもたちに直接的でも間接的でもいいから、何かしらの形で携われたらいいなと思っている。

もっと人の気持ちがわかるようになったし、もし同じ境遇の子がいて悩んでいるとしたら、きっと救えるはずだから。

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