アセクシャル自認前の私

自分が特殊だとは、思いたくない。多分、私はそう言うタイプの人間だったのだと、思います。
自分が「普通」だとも思っていなかったけども、かと言って「異常」だとも思いたくない、そういう感じでした。
だからこそ、周囲と自分の間に違和感はあったけれども、その正体を理解しようとは、しませんでした。
数年前のある日、私はとあるベジカフェでLGBT当事者でもある、親しい女友達と会食をしていました。
教養のある友達と話すのは、私にとっては楽しいことです。女子大の中では日本有数の大学に通っているその友達とは、色々な話題で盛り上がりました。
そんな中、ふとしたことから、その友達がこんなことを言ったのです。
「LGBTって、奥が深いんですよ。セクマイって、LGBTだけじゃないんです。例えば、話を聞いていたら、日野君もアセクシャルだと思うんだけどね。」
「は?そんな訳、無いから。」
思わず、不機嫌な声を出した私。場の空気は一気に気まずくなりました。
そのときの私は、精神年齢はともかく、法的には成人した男性。
体も心も男性で、恋愛対象は女性です。つまり、LGBTとは全く無縁の存在でした。
アセクシャル、という人達がいることは、知っていました。新聞か何かで「性欲の無い人」と報道されていたのを見て、記憶の片隅にあったのです。
「確かに、恋愛対象と性欲は一致しないけど、それって普通でしょ?」
「いや、そういうのも確か、あったはずだから!」
友達は目の前でスマホで検索しましたが、適当なワードが出てきません。
当時、LGBTについてはマスコミでもネットでも大きく取り上げられていました。
しかし、アセクシャルを始めとするLGBT以外のマイノリティを含んだSRGM(性的・恋愛・ジェンダーマイノリティ)については、まだネットで検索しても不正確な話しかヒットしない時期だったのです。(今でも変わりないかもしれませんが)
私がこの問題に全く関心が無かったわけでは、ありません。
ある市の男女共同参画センターの一室を借りてLGBT問題をテーマの勉強会を主催したこともありました。
世間一般と比べたら関心のある方だった、と思います。
そんな私にとっても、アセクシャルと言うのは、何やら理解のし難いものでした。
実は多様なAceスペクトラム

それから一年近くたったぐらいの頃でしょうか。ネット上である方のブログを、たまたま読んだとき、私は始めて自分がアセクシャルだということを知りました。
ブログ主は女性ですが、恋愛感情も性欲もあって、だけど他人に性的魅力を感じないアセクシャルである、と言う人でした。
それを読んで「あ、私もアセクシャルかもしれない」と思ったのです。
一口にアセクシャルと言っても、恋愛感情のある「ロマンティック・アセクシャル」(ノンセクシャル)と恋愛感情のない「アロマンティック・アセクシャル」がいます。
調べてみると、どちらも多種多様な人がいました。
性欲のある人もない人もいれば、恋愛感情はあるけれども「両想いにはなりたくない」と言うような人もいます。
また、アセクシャルの略称を「Ace」(エース)ということも知りました。「アセクシャル」と日本では言うけれども、海外では「エイセクシャル」ということが多いらしく、それを踏まえた略称のようです。
関西でアセクシャルのオフ会があると聞き、参加してみたら本当に色々な人がいました。
恋愛感情を抱いたことがない人もいれば、恋人がいた人もいます。
自分に恋愛感情があるかどうか判らない、と言う人もいました。
当然、職業も様々。水商売をしている人までいて、驚きました。
「Aceスペクトラム」という言葉があります。
アセクシャルというと「完全に、他者に性的魅力を感じない人」のことですが、アセクシャルとマジョリティの中間には「グレーゾーン」に当たるグレーセクシャルを始め、様々な人達がいます。
そういう人たちをすべてまとめたのが、「Aceスペクトラム」です。
つまり、部分的にアセクシャルな人もいるのです。アセクシャルとマジョリティの境界は、実は曖昧なのです。
恋愛と性的魅力は無関係

自分が普通に恋愛感情を持っていることも、アセクシャルの自認が遅れた理由の一つかもしれません。
私にとって恋愛と性的魅力が無関係なのは「当たり前すぎること」でしたから、同級生と多少性的な話題になって違和感を抱いても、特に深く考えなかったのです。
ただ、アセクシャルでない皆様も、冷静に周囲を見ていただくと私の感覚も少しは理解できるのではないかな、と思います。
例えば、セックスレスでも仲の良い夫婦はいます。特にお年寄りにそう言う方は多いと思います。
付き合っていなくとも身体の関係を持つ人もいれば、結婚するまでは性的なことをしないカップルもいます。前者の方が後者よりも愛し合っている、と言う人は少ないのではないでしょうか?
私個人としては、恋愛と性欲が一致するかのような主張は、実態に合わないばかりか、多様な恋愛のあり方があるこの社会においては、セクハラ等の問題を誘発する恐れすらあると思います。
実際、アセクシャル当事者がそう言うセクハラ的な発言に晒されることは、多いです。
アセクシャル女性に多いですが、アセクシャル男性の私でも不快なことを言われることはしばしばあります。
それほど違いの無い日常

ただ、私たちアセクシャル(広い意味でのAceスペクトラムを含みます)は、実際にはマジョリティの人と特に大きな違いはありません。
普通に恋愛をする人もいれば、恋愛をしないアロマンティックの人もいますが、マジョリティの人が常に恋愛のことを考えている訳ではないので、その点でもたいして違いはありません。
普通に友達と遊びに行くことについては、アセクシャルとマジョリティの間で何ら違いはないです。
私はベジカフェ巡りや神社参拝が好きなので、それが好きな友達が必然的に多いのですが、相手がアセクシャルの友達だから、逆にアセクシャルではない友達だから、と言ってベジカフェや神社での会話内容が変わる訳でも、ありません。
ただ、私はお酒を飲めないので、たまにこういうことを聞いてくる友達がいます。
「やっぱり、日野君はアセクシャルだからお酒を飲まないの?」
アセクシャルなのとお酒を飲まないのとは、私の脳内ではあまり関連は無いのですが、私自身、実は気になっていたりします。
しかし、それに関連があるなど、アセクシャル当事者の私も知りません。
アセクシャルの知り合いに聞くと、こう言われました。
「アセクシャルにお酒を飲めないの割合がマジョリティよりも多い、という研究結果がありましたね。だけど、私はお酒に強いけど。」
「・・・要するに、そう言う傾向があるというだけで、絶対的なものじゃないんですね。」
私達は、少し、皆様と違う“傾向”を持っているのかも、知れません。
しかし、私達アセクシャルと他の人たちには、大きな違いはありません。
ですから、周囲のアセクシャルの存在に気付かなくても、あるいは、自認が出来ていなくとも、それは悪いことではありません。
自分や周囲とは違う人がいるかもしれない、もしかしたら自分もその当事者かも知れない、ということを少しだけ、意識してもらえたら、幸いです。

神社仏閣巡りが趣味。みんなが「共感」しあえる社会を作りたいです。菜食主義者。アセクシャル当事者。日本SRGM連盟代表、仏教史学会会員。宝蔵神社、京都光明地蔵院(京都府宇治市)やインドラ寺(インド・マハラシュトラ州ナグプール県)で修行経験あり。