「友達は選べ」や「周りを味方で固めろ」という言葉を聞いたことがありますか。
私はこれらの言葉には次のような意味があると考えています。
「自分の身の回りの人を選択する権利がある」
「身の回りの人」というのは友達や仲間など身近な人のことです。また、「選択する権利がある」というのはその人とどう関わるか、もしくは関わらないか自分で選んでいいということです。
友達を例にして考えると、「○○さんとは友達になりたいな。でも○○さんとはあまり話したくないかも。」といったような具合です。どんな人間関係を築くか、自分で決めてもいいということです。
でも決めてもいいと言われても、、、
私の中にはモヤモヤが残ります。
友達を選んでいいとはいうけれど

まずこのモヤモヤの正体を突き止めるべく、私は頭の中で友達を選ぶシミュレーションをしてみました。
・・・この学校のこのクラスの一員の私。○○さんとはちょっと関わりたくないから○○さんは友達じゃないとすると、これが「友達を選ぶ」ということかな。今の人間関係に不満が無いわけではないけれど、友達を選ぶことでこのクラスに居づらくなったら困るし、ひとりが嫌ではないど、、、でもひとりぼっちかあ。
なんだか友達を選ぶことが億劫になってきました。きっとこのモヤモヤは友達を選ぶことで起こるかもしれない嫌なことからきているのかもしれません。
もう一つ考えたことがあります。それは『友達を選ぶことを「友達自身」はどう考えるか』ということです。
「私が友達を選んでいいのだから、あなたも友達を選んでいい。もちろん私の友達も友達を選んでいい。とするならば、私の友達は私を友達として選んでくれるのか。」
選んでくれるのならいいのですが、もし選んでくれなかったら、、、。
私が友達だと思っても、その友達自身は私の事を友達だと思っていない。
つまり「選ばない=友達でない」ということになってしまいます。
もしも誰からも選ばれなかったら、友達がいない私になってしまう、、、なんだか嫌なことを考えてしまいました。
これまでをまとめると、
・みんなに友達を選ぶ権利がある。もちろん私の友達にも。
→私の友達が私を友達として選んでくれるとは限らない。
→私には友達がいないのかもしれない。
ということになります。なんだか寂しくなってきました。
「選ばない≠友達じゃない」

でもよく考えると、選ばなかったら友達じゃないのでしょうか。というか、そもそも友達ってどんな人のことを言うのでしょうか。新しいモヤモヤが出てきました。
一つ例を考えてみます。「近くに居たらいいなあと思う芸人さん」を考えました。
・・・ずんの飯尾さん、近くに居たらいいなあ。ギャグが見たいのもあるけれど、なんだか一緒にいたら安心できそう。
アンタッチャブルの山崎さん、とても面白いけれど、隣で一緒に映画を見るには、私には少し騒がしすぎるかもしれない。でもスポーツ観戦は盛り上がりそう。そう考えるとテレビの画面越しで見ているだけで十分な芸人さんもいるなあ。
思い浮かべた方々みんな芸人さんでそれぞれに面白いというのは一緒です。
違うのは一緒にいたいなと思う距離感と一緒にしたいことでした。
この考えで芸人さんを友達に置き換えるとどうでしょうか。
昨日見た番組の話をする友達
一緒に帰る友達
あいさつ程度の友達
進路について話す友達
友達と一言で言っても、色々な友達の姿が浮かんできます。
そう考えると、「友達を選んでいい」という言葉のイメージが少し変わる気がします。
今の私はどうだろう

この記事を書きながらいろいろな友達の顔が浮かんできました。好きなアーティストのオタク話をしあう友達に悩みを言う友達と色々です。
そんな存在はこれから増えるかもしれないし減るかもしれません。
楽しみでもあり少し面倒だなとも思います。
これは人と関わることについても同じことが言えるかもしれませんね。
ゴキブリの法則

ゴキブリは1匹いたら100匹いるといわれます。
この法則を人に当てはめると、こうして人とかかわることをうだうだと考えて記事にした人が1人いるのだから、記事にはしないけれど頭の中で考えている人は100人います。きっと。
人と関わるのは難しいなあと案外身近な人も思っているかもしれません。
今回はこんなことを考えている人もいるのだなということで記事をおしまいにしたいと思います。
センキュー・フォー・リーディング。

のんびり生きていく大学生。専攻は特別支援教育。マイブームはICFと当事者研究。アイスコーヒーを相棒に読書したい。なんだか最近調子が良い。